縞模様の歴史

 東京調布の名刹(めいさつ)深大寺の近くにカルメル修道会の施設がある。団塊の世代を含むシルバー世代は、門に掛かっている大きな表札を見ると、昔懐かしい「カルメラ焼」を思い浮かべ無意識に含み笑いをしてしまう。おそらく通行人は怪訝そうな顔をして見ているに違いない。このカルメル修道会と縞模様は切っても切れない深い関係にある。

 1254年の晩夏、聖王ルイ9世は4年の長きに亘った十字軍遠征から兵士と共に大勢の修道士を引き連れてパリへ帰還する。しかし、その中に縞模様の外套を纏(まと)った修道士の一群が居たため大騒動に発展してしまう。この一群がパレスチナのカルメル山に修道院を構えたカルメル修道会である。騒動の発端は、彼らが身に纏っていた縞模様の外套がキリストを冒瀆(ぼうとく)しているというのだ。
 短躯(たんく)の人は体型がスマートに見えるので縦縞の背広を着るケースが多いという。ところが15世紀中頃まで縦縞はタブーで、それを着るのは乞食・売春婦・囚人、死刑執行人と相場が決まっていた。
 このタブーが解けるのは15世紀を揺るがした2大事件、即ち1453年の「百年戦争終結」と「東ローマ帝国滅亡」により暗黒の中世に幕が閉じられた事が大きい。

 更に16世紀に入ると欧州の2大強国に破天荒な絶対君主が登場し、タブーを破壊してしまう。破天荒な絶対君主とは、フランス国王フランソワ1世とイギリス国王ヘンリー8世の二人である。偶然の一致だが、二人は既成秩序に逆らうように縦縞の衣服を自慢げに着た。当然、王様が着れば大貴族も模倣する。大貴族が身に着ければ、部下達も競うように身に着ける。こうして縦縞はマジックを見る如く、人気の高い高貴な紋様に変身してしまう。

 さて胴長の人は座高を少しでも低く見せるため横縞のスポーツシャツを好むという。だが横縞は縦縞以上にタブーが厳しく、1776年のアメリカ独立でスター&ストライプの星条旗が制定されるまでは、もっぱら囚人の専売特許であった。そう言えば映画や漫画に登場する囚人達はおそろいの横縞服を着ている。まさに「驚き・桃の木・山椒の木」ではないか。
 では縞模様がタブーであった理由は何か。それは聖書の『レビ記』19章19節の「二種で織った衣服を身に着けてはならない」という一節に起因している。

 私たち現代人は、「二種」の意味をウールなどの動物性繊維とリネンなどの植物性繊維の交織(こうしょく)と理解するが、中世人は交織ではなくストライプと理解したようだ。ここから縞模様を忌み嫌う思考が発芽、やがて一大タブーとして成長し定着する。ところで写真の「ゼブラ」だが、この単語にも「シマウマ」とは別に「おかしな奴」という意味深な意味が含まれる。謎は深まるばかりだ。

 

写真:ゼブラ(多摩自然動物公園)