窓ガラスの誕生物語

 窓へのガラスの本格的採用はゴシック大聖堂のステンドグラスが最初である。最古のステンドグラスはドイツのロマンティック街道沿いの11世紀末に建てられたアウグスブルグ大聖堂の「五預言者像」。これに次ぐのが「シャルトルの青」と呼ばれて有名なフランスのシャルトル大聖堂のステンドグラスである。このようにステンドグラスが使われた建物は大聖堂に限定され、王様が生活する宮殿さえも恐れ多くて使うことができなかった。

 1077年、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世はイタリア北部のカノッサ城を訪れ、教皇グレゴリウス7世に悔悛(かいしゅん)を示し、破門を許してくれるよう懇願している。この「カノッサの屈辱」が象徴するように中世ヨーロッパではキリスト教の権威は絶大であった。
 ゴシックの時代、カーテンは登場していない。ステンドグラスは「神は光なり」を具現化した絵解きの聖書なので、カーテンで遮ることはタブーであった。では世俗の建物の窓はどうであったかというと、吹きさらしが殆どで、一部の富裕層のみが薄手の布や油紙を張って窓ガラス替わりにしていたという。したがって治安が悪く物騒な夜は、大部屋の頑丈な木製鎧戸を閉め、家族全員でひたすら用心するだけであった。

 世俗の建物に窓ガラスが使われるのはルネッサンスの時代である。おそらくフィレンツェのメディチ家の邸宅が最初と推察される。治安も絶対王権力が確立されたことにより大幅に改善され、必ずしも頑丈な鎧戸を必要としなくなった。窓がガラスであっても問題はない。
 では当時の窓ガラスはどのように作られたのだろうか。日本板硝子協会のカタログに一枚の写真が掲載されている。これを見れば窓ガラスの製法が一目瞭然で理解できる。この製法を王冠の形をしているので「クラウン法」と呼び、7世紀にシリア人が発明したと語り継がれている。別名は「人口玉吹法(じんこうたまふきほう)」で、テレビの旅番組でタレントが口にくわえた吹棹(ふきさお)でガラスを成型するシーンを見ていると思う。丸い花瓶や風鈴ならば先端をカットして出来上がりだが、板ガラスの製作はもう一工程が必要になる。

 「百聞は一見にしかず」で協会のカタログから工程図を転載しよう。図のように西洋梨の形に膨らませた灼熱のガラスを別の鉄棒の先端に熔着させ、梨の頸部を吹棹から切り離す。次に残ったクラウン状の部分を再加熱して軟化させ、鉄棒を軸に高速回転させる。すると切口が遠心力によって開き、直径一メートル程度の円板になる。これをカットして窓ガラスにした。窓ガラスが登場したことにより窓辺を飾るカーテンが誕生するのである。

 

 

 写真1:中世の窓ガラス(ヴェネツィアのサンマルコ寺院)

 

 

 写真2.クラウン法による窓ガラスの製造

 

 写真3:クラウン法の製造工程図