ベネシャンブラインドの誕生物語

 生活の3大基盤である衣・食・住の中では、「住」が最も保守的と言われている。換言すると人々は昔からの生活スタイルを無意識的に踏襲してしまう。

 さて城塞都市の伝統を引くヨーロッパの都市は集合住宅(マンション)が基本である。日本と違って地続きのヨーロッパは古代から近世に至るまで異民族による戦乱の歴史であった。自分の家族と財産を守るためには城壁に囲まれた都市に住むのが最善である。しかし城壁内は狭いため集合住宅が基本となる。例えば近世に至るまで城壁で囲まれていたパリ、ここに住む世界有数の大富豪ロスチャイルド家さえも大邸宅ではなくマンション住まい。この点で都市郊外にセレブの邸宅が並ぶ新大陸アメリカとは好対照である。

 バルセロナやバレンシア、セビリア等の地中海に面した都市を旅して気づくのは、どの家庭も日中は窓に大きな日除けテントを張っていることである。そのはず、「フライパンの底」と比喩されるように夏場の日差しは強く、40℃を越える日も稀ではない。しかし湿度は低いため木陰に居るとそれほど暑さは感じない。当然、住居に関しても日差しを遮り、風通しに留意する。その具体策が「テント」と「ペルシャーナ」での二重対応である。しかし風の強い日はテントを張れないのでペルシャーナを活用する。情熱の国スペインで見たペルシャーナはスタイルも機能も千差万別。色も各窓各様でカラフルであった。
 しかしペルシャーナとは奇妙な名前である。名前がペルシャを連想させる。念のため語源を訊ねたところペルシャがルーツという返事であった。ペルシャから欧州へは3つのルートで入ってきたと推定される。第1はモロッコからジブラルタル海峡を渡ってコルドバへ。第2はリビアからシシリー島経由でナポリへ。第3は東方貿易を通じてヴェネツィアへ。このヴェネツィアでペルシャーナは大いに普及し発展する。運河が縦横に張り巡らされている関係で湿度が年中高いうえ、航行するゴンドラなどから部屋の中を覗かれてしまう。このような事情からペルシャーナが運河の町に適していた。

 ヴェネツィアで普及発展したペルシャーナは時代の進展と共に西ヨーロッパ各地へ拡大する。その過程でペルシャーナは何時しかベネシャンブラインドへと名前を変えて行く。創作話のようだが紛れもない真実。事実は小説よりも奇なりである。

 

 写真:スペインの町で見かけたペルシャーナ